大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和50年(ワ)8205号 判決 1979年5月29日

原告 松崎商事株式会社

右代表者代表取締役 松崎義通

右訴訟代理人弁護士 佐藤義行

同 中利太郎

同 小林公明

被告 株式会社第一勧業銀行

右代表者代表取締役 横田郁

右訴訟代理人弁護士 奥野利一

同 稲葉隆

同 野村昌男

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者双方の求める裁判

一  原告

1  被告は原告に対し金三二九〇万〇三四一円及びこれに対する昭和五〇年一〇月一〇日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  被告

1  主文一、二項と同旨。

第二当事者双方の主張

(請求原因)

一  原告は、被告との間に昭和三六年ころ当座勘定取引契約を締結し、原告振出の小切手を原告の計算において原告の被告池袋東口支店に対する当座預金から支払をすることを委託し、被告はあらかじめ原告提出の印影と小切手の印影とを照合し両者符合する場合に支払担当者として原告のため当該小切手の支払をする債務を負担することとなった。

二  原告は被告との前項の当座勘定取引契約を昭和五〇年九月三〇日解約したものであるところ、被告は、別表記載のとおり、いずれもその小切手(以下本件各小切手という)が偽造であるのに、原告の当座預金より支払をした。

三  しかしながら、右各支払は原告に支払義務がないのに拘らずなされた支払であるから、前記取引契約上原告に対して無効であり、前項の解約当時被告は原告に対して金三二九〇万〇三四一円の当座預金返還債務を負担していた。

四  よって、原告は被告に対し、右金三二九〇万〇三四一円及びこれに対する当座勘定取引契約解約後である昭和五〇年一〇月一〇日以降完済まで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(請求原因に対する答弁)

一  一の事実は認める。

二  二の事実中本件各小切手が偽造であるとの事実は不知、その余の事実は認める。

三  三、四は争う。

(抗弁)

一1  原告の前代表者松崎勝義は、昭和四五年九月ころ、原告の経理責任者として訴外石原正綱(以下訴外石原という)を任命し、被告に対して「以後銀行取引関係は一切石原に任せる」旨言明し、昭和四六年九月ころ、現代表取締役松崎義通に代った後も、同様に同人は被告に対し「銀行取引関係は一切石原に任せてある」旨言明したが、訴外石原は、原告の経理責任者として、預金の預け入れ、払戻及び借入れ、その他銀行取引に関する一切の権限を有していた。

2  本件各小切手の支払は、いずれも訴外石原に対してなされたものである。

二1  かりに、訴外石原に本件各小切手の支払を受ける権限がなかったとしても、

イ 訴外石原は、原告の経理責任者として、預金の預け入れ、払戻及び借入れ、その他銀行取引に関する権限を有していた。

ロ 原告の前及び現代表者とも、前記のとおり、被告に対して「銀行取引関係は一切石原に委せてある」旨言明した。

ハ 訴外石原は原告の経理責任者として、被告に度々来店していた。

ニ 本件各小切手は、被告から原告に交付した小切手用紙が利用されているものである。

ホ 本件各小切手は、取締役社長の印影を除けば、すべて原告振出の正規の小切手と全く同様である。

ヘ 被告は原告に対して、昭和四七年三月、六月、九月の三回に亘り、当座勘定の過振り利息及び引落後の残高通知書を原告に親展にして郵送しているが、これに対して原告から何らの異議申出もなかった。

等の事情を考えると、被告が訴外石原に本件各小切手の支払を受けることについても権限ありと信ずべき正当な事由がある。

三1  原告と被告間の当座勘定約定書一六条には、「手形、小切手または諸届け書類にご使用の印影を、お届けの印鑑と相当の注意をもって照合し、相違ないものと認めて取り扱いましたうえは、その手形、小切手、諸届け書類につき、偽造、変造その他事故がありましても、そのために生じた損害については、当行は責任を負いません」旨規定されている。

2  本件各小切手については、照合事務に習熟している被告行員が、届出印鑑と平面照合し、相違ないものと認めて支払ったものである。

3  よって、被告は右約定書一六条の規定により免責される。

四1  かりに、以上の主張が理由ないとすれば、訴外石原は被告に対して、原告代表者の偽造印を押捺した本件各小切手により被告をして別表記載のとおり支払をさせ、被告に対し右同額の損害を与えた。

2  訴外石原は当時原告の被用者であった。

3  訴外石原は、原告の経理責任者として、職務の執行中、被告に右のような損害をかけたのであるから、原告は訴外石原の使用者として、民法七一五条一項により被告に対して右同額の損害賠償義務がある。

4  よって、被告は、答弁書(昭和五〇年一一月一四日の第一回口頭弁論期日に陳述)をもって、原告の当座預金払戻請求権と被告の損害賠償請求権とを対当額で相殺する旨の意思表示をする。

(抗弁に対する答弁)

一1  一の1は否認する。

2  同2は認める。

二  二の事実はすべて否認する。ただしへの残高通知書が原告に到達したことは認める。

三1  三の1は認める。

2  同2、3は否認する。被告は、本件各小切手金の支払に関して、印影の平面照合すら行っていない。

四1  四の1、2は認める。

2  同3は争う。

3  同4は認める。

(再抗弁―抗弁四に対して)

被告は、本件各小切手によって支払をなした際、いずれも右各小切手に押捺された偽造印による印影と原告が被告に届出ている印影との照合事務を尽さなかった重過失がある。

すなわち、右両印影は、熟視するならばその差異は極めて明らかであるにも拘らず、被告は業務上当然になすべき照合事務を怠り、そのため本件各小切手により支払をなしたもので、被告には重過失がある。

(再抗弁に対する答弁)

すべて否認する。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因事実は、本件各小切手が偽造であるとの点を除いてすべて当事者間に争いがない。

そして、《証拠省略》によれば、本件各小切手(乙第七ないし第六二号証)表面の振出欄原告取締役社長名の印影は、すべて訴外石原が勝手に作成使用した偽造印による印影であることが認められ、他に右認定に反する証拠はない。

二  そこで、被告の抗弁につき以下順次判断することとする。

(訴外石原に本件各小切手金の受領権限があったとの主張について)

(一)  《証拠省略》によると、訴外石原は、昭和四五年ころから原告の経理を委されるようになったが、株購入の資金や遊興費等に充てるため原告の金員を使い込みはじめ、昭和四七年一月ころからは、原告代表者印を偽造し、原告の小切手に原告会社事務所において「松崎商事株式会社取締役社長松崎義通」のゴム印を押捺し、その名下に右偽造にかかる印を押捺し、別表記載のとおりこれを被告池袋東口支店に呈示してその支払を受け(右支払を受けた点は当事者間に争いがない)、遊興費等に費消していたことが認められ、他に右認定に反する証拠はない。

右事実によれば、訴外石原の本件各小切手金の受領について、同人に原告経理係としての受領権限がないことは明らかである。

(二)  《証拠省略》によれば、訴外石原は原告の経理係の責任者として、原告の経理事務一切を担当し、被告池袋東口支店にも原告の払戻し、貸付け等のためよく出入りし、原告の現代表者も、原告の経理については訴外石原に委せてある旨当時被告の同支店に勤務していた野部晃司、徳地博らに告げたことがあることが認められるけれども、これは原告の経理係として適法有効な職務を遂行するについてその権限が認められるものであっても、偽造印を押捺して小切手金の支払を受けた本件のような場合にまでその受領権限があるとは到底考えられない。

(受領権限についての表見代理の主張について)

(一)  後記認定のとおり、被告には本件各小切手に押捺された印影と原告があらかじめ被告に届出た印影との照合事務につき、重過失とはいえないまでも、委任の本旨にしたがっての善良な管理者としての注意義務に欠けるところがあったことは否めない。

(二)  したがって、被告の主張するその余の具体的事情を検討するまでもなく、表見代理の主張は失当であり採用できない。

(免責の主張について)

(一)  被告主張の免責の規定のあることは当事者間に争いがない。

(二)  銀行が当座勘定取引契約によって委託されたところにしたがい、取引先の振出した小切手の支払事務を行なうにあたっては、委任の本旨にしたがい善良な管理者の注意をもって処理すべき義務を負うことは明らかで、銀行が自店を支払地とする小切手について、真実取引先の振出した小切手であるかどうか確認するために、届出印鑑の印影と当該小切手上の印影とを照合するにあたっては、特段の事情のない限り、折り重ねによる照合や拡大鏡等による照合までは必要ないとしても、右両者を平面に並べて肉眼で両印影を比較照合するいわゆる平面照合の方法をとることは必要であり、金融機関としての銀行の照合事務担当者に対しては、右照合については社会通念上一般に期待されている業務上相当の注意をもって慎重に行う義務があり、右のように相当の注意を払って熟視するならば肉眼をもっても発見し得るような印影の相違が看過されたときは、銀行側に責任があり、偽造小切手支払による不利益を取引先に帰せしめることは許されないものといわなければならない。

(三)  ところで、被告は、後記認定のとおり、本件各小切手に押捺された印影と原告からあらかじめ届出されている印影との照合事務につき、重過失といえないまでも軽卒のうらみがあり、いったんの責任が存するのであるから、かような場合においても、直ちに免責の規定が当事者間に適用されるものではなく、右規定は被告が照合事務を十分に尽した場合においてはじめて適用されるものと解すべきである。

右抗弁は理由がない。

(相殺の主張について)

(一)  訴外石原が偽造した原告代表者印を押捺した小切手により被告から本件各小切手金の支払を受けたこと前記のとおりであるところ、訴外石原の右小切手金の支払請求及び金員の受領は原告の業務の適正な執行々為ではないけれども《証拠省略》によれば、原告は昭和四七年一月ころから同年八月ころまで合計一一八枚金一億七六〇〇万円ほどの支払を訴外石原を通じて受けており、本件各小切手による支払はその一部にあたることが認められ、これに前記認定のとおり、原告の金員の受払いは右期間中訴外石原が専ら担当していたこと、本件各小切手による支払は、真正な小切手による支払とその手続において全く差異がなかったこと等の事情を考慮すると、訴外石原の本件各小切手によって被告から支払を受けた行為は、その外形からみて、原告の事業の範囲内に属するものと認めるのが相当である。

(二)  そして、訴外石原が原告の被用者であること、被告が本件各小切手によって別表記載のとおり被告からその支払を受けたことはいずれも当事者間に争いがない。

(三)  そうすると、被告は右同額の損害を蒙ったことが明らかであり、右損害は原告の被用者である訴外石原が原告の事業の執行につき被告に加えた損害であるから、原告は被告に対して右損害を賠償すべき責任がある。

(四)  ところで、原告は被告には訴外石原が本件各小切手により支払を受ける際、重大な過失により本件各小切手に押捺された原告代表者印が偽造されたものであることを判明しないままその支払をなした旨主張するので、原告の被告に対する届出印と本件各小切手に押捺された印との印影の比較及び被告担当係員がその照合につきいかなる注意を払ったかにつき検討する。

《証拠省略》によれば、原告届出の印(乙第三号証以下真印という)と本件各小切手上の原告代表者名下の印影(以下偽印という)とは共に円形の印影で略同一の大きさで、線の太さ及び書体とも略同一で外形に「松崎商事株式会社」内側に「社長之印」の字が円形にそって表わされ、その字の太さ字画も極めて酷似し、一見同一印影のように見受けられるが、些細に検討すると、外側の「松崎」の文字は、真印がとなっているのに対して偽印はとなっていて、「松」の旁及び「崎」の偏に差異がみられること、内側の「社長」の字が真印は内側の円線と離れているが、偽印は真印ほど離れていないこと、被告池袋東口支店では支払窓口の担当は入行三年以上の者を充てるようにしており、原則として平面照合の方法によって印影の照合をなしたうえ処理することにしており、本件各小切手についても、中野善洋、大井輝夫、相川浩一ら各係員が、平面照合の方法によって届出印と本件各小切手上の印とを現実に比較照合し、符合しているものとして、原告の当座預金からその支払をなしたものであることをそれぞれ認めることができる。

右認定の事実によれば、真印と偽印とは一見同一のように見受けられるが仔細に点検すれば肉眼によって必ずしも発見し得なくはない相違点があり、これを看過し同一の印影であると判断し支払に応じた被告の行為は軽卒のうらみがなくはない。しかしながら、前記のように本件各小切手は昭和四七年一月ころから同年八月ころまでの間合計一一八枚金一億七六〇〇万円ほどなされた支払の一部であることと、すべて訴外石原が持参していること、被告は原告の代表者から原告の経理は訴外石原に委せてある旨きいていること、訴外石原は原告の金員の受払い一切を担当していたこと、さらに印影は押捺条件の相違によって同一の印によるものであってもその印影に差異の生ずることがあることをも考慮すると、被告には印影照合につき支払担当者として重過失があったとまで断定することはできない。

(五)  被告が本件第一回口頭弁論期日(昭和五〇年一一月一四日)に、被告の原告に対する右損害賠償債権を自働債権とし、原告の被告に対する当座預金払戻請求権を受働債権として、その対当額において相殺する旨の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。

(六)  そして、被告の原告に対する損害賠償請求債権額が、原告の本訴請求額を超えるものであることは、弁論の全趣旨により明らかであり、原告の被告に対する債権は、右相殺の意思表示により消滅したというべきである。

三  以上のとおり、原告の本訴請求は、結局理由がないことになりすべて失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 板垣範之)

<以下省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例